一皮目とは、 一重まぶたのこと。宇野千代の自伝『私のお化粧人生史』には、若い頃(大正初期)に二重まぶたに憧れて、自分のまぶたを針でつついたというエピソードが語られていますが、美容相談ページにも、日に関する悩みは実に多く寄せられています。解決方法として指導されたのは、まぶたに薄く紅を塗る、あるいは眉墨を目のふちに入れるといったメイク法でした。ちなみに、こうした目のコンプレツクスは、西洋人を知る以前の時代にはなかったものだとか。顔文化研究家として知られる大阪樟蔭女子大学の村澤博人先生によると、江戸時代には「目がはればつたい」という表現は、病気などでむくんでいる場合にしか使われないものでしたが、明治以降に日常的な言葉として使われるようになったといいます。つまり、江戸時代までの日本人は肉厚のまぶたを当たり前のものとして受け取っていたのに、西洋人の顔を知ってからは、それを醜いものと感じるようになったというサンフランシスコの学校で改めて脱毛の勉強をし、機械を使って脱毛をする技術を積みました。きれいに脱毛できると、校長のビルフォンテス先生は「これで毛がなくなる」というのですが、私は「本当にパーマネント(永久)?」と、そのことばかり質問します。毎日のように、「パーマネント(永久)?」と聞いてしまうのです。ビル先生は「パーマネント(永久)だよ。当たり前だ」と答えるのですが、私は毛がなくなった肌を見たことがなかったので、信用できませんでした。帰国する時もまだ疑間が残ったまま、機械だけ買って帰ってきました。 ヽ

 

 

帰国してから、社員のわき毛を「右158本」「左170本」と数えながら脱毛の効果検証を始めました。2週間に1回脱毛をしていくと、10ケ月で「右20本」「左17本」となり、一年を過ぎる頃には「右3本」「左1本」となりました。勉強し始めて2年も経っていましたが、初めてパーマネント(永久)だと確認できました。それでやつと、「本当になくなります」とお客様に自信をもって言うことができました。そこから、脱毛の技術をサロンのメニューに加えました。お客様を練習台にはできませんから、時間はかかりましたが、技術の教育も万全にしてスタートできました。少し話はそれますが、サンフランシスコでは金色や銀色の毛の人が多く、そこで練習を積んだので、帰国後に日本人の黒い毛の脱毛はとても簡単でした。また、私が脱毛を学ぼうと思ったきっかけの一つに、死んだ母が足の毛深いことを悩み、よくオキシフルで脱色したり、剃ったりしていたことがありました。母に脱毛してあげたら、きつとびつくりして喜ぶだろうなあと愉快に思ったり、寂しく思ったりしています。